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林 レイナ 


私の部屋には夕方の海の写真が飾ってある。
ベッドの中で目が覚めて、布団を巻くって起きあがるまでの数分間、私はこの写真をぼーっと眺める。それが私の日課であり、癖である。
一度も行ったことのない、地球の反対側のブラジルの海を見て、懐かしいような気持ちになったり、温かいような気持ちになったり、人恋しくて泣きたいような気持ちになったりするのは不思議だ。
曇った空を映した海は、今にも溢れだしそうにざぶざぶして、夕方の光を浴びてきらきらしている。
強くて優しくて、寛容で強暴で、時々私を、あの人の腕の中に居るような気持ちにさせる。

とても暑い日だった。私が知る中で、とにかく一番暑い日だった気がする。
日焼けで火照った肌を、生温い風がふぅーっと撫でる。
後数分もして日が暮れれば、今日という日も終わってしまう。
目を閉じると、波の音が目の前の全てをさらって行ってしまいそうで、ただただ今を焼き付けていた。
あの日の優しい沈黙を想うと、今でも胸がさわさわして、奥歯をギュット噛み締めてしまう。

あの夏私が恋をしていたこと。
それはとても確かなことであり、そして、それはもう全て終わったこと。
昨日のことも明日のことも判らない不確かな毎日の中で、それだけはとても確かなこととして、
私の中に住む。

入り江 夕暮れ 又いつか・・・

追伸
歌うことは希望である。
どんなに暗い歌でも後ろ向きでも怨念めいても悪態ついても笑われても、
歌うことは私にとって希望である。



曽谷 コウヘイ 


常識にとらわれすぎるな。
だってそれはジョーのスタイル(ジョー式)にすぎないんだから。
おっと、勘違いするなよ、ジョーは間違っちゃあいない。奴は生き方も髪型も素敵さ。
だけど俺達は所詮ジョーにはなれないんだから、俺達独自のダンスを踊り、
自分らしい髪型を決めるしかないんだ。ジョーも言ってたぜ、「君は素晴らしい」って。
ジョーには無くて君だけに有るものがある。ジョーにはできなくて俺達にはできることがある。
それが、君の、俺の、「ジョー式」さ。

「本当の琴」を奏でる。
真実しか鳴らないよ。だって「本当の琴」なんだから。
弦がビビってちゃんと鳴らないかも。チューニングがめちゃちゃかも。
そもそも切れまくってて弦が半分しか無いかもね。そしてそれが現実というものさ。
だけどその中で鳴らすことのできる最高の音を君に聴かせてあげる。
君を最高に楽しませてあげる。心打つものはみんなリアルさ。「本当の琴」さ。

旅に出るんだ。
何事もハートが大切さ。重心は低く、人には優しく、どっしり構えて出かけよう。
包み込む優しさが君の勇気。長く長く歩けるように足を包む頑丈な「心の足袋」を用意したなら、
きっとどこまでも行けるのさ。

俺達の「ジョー式」を表現するために、「本当の琴」を奏でるためにここまでやってきた。
自分達で録音しミックスしジャケットを描きプレス代を値切り、スタッフやってと友に甘え、
飲みの誘い断り練習し費用を捻出するためにチキンラーメンばかり食べた。
そしてできたのが「入り江e.p.」。ずっと思ってた。こんなのが作りたかったんだ。
そしてやっとの思いでできた。だけどここがゴールじゃない、はじまり。
だって、俺達は旅に出るんだから。すべて包み込む「心の足袋」を履いてね。
長い旅なんだろうな。だけどこれからこんな世の中を「まごころ」こめて進んで行こうと思ってます。
「孫頃」なんだからさ、孫が生まれる頃までは、ね…。



J−WAVE 吉村隆宏


おきたことはすべていいこと。

みみずくずの新作e.p.は、感情とサウンドがこれまでになくヘヴィにブレンドされた、
力の入った楽曲を集めた作品となっている。

「生きにくい現実」をしかし本気で生きる者の、不安と勇気、そして哀しさ。
決して逃げない強さと、はちきれてしまう感情。

過去を扱う歌詞がひんぱんに出てくる。過去を嘆くのではなく受け入れる、
それはとてもつらいこと。しかし、おきたことはすべていいこと。そう言える勇気。

これからおきることもすべていいこと。

5曲め「花でした」の最後に出てくる、ギター・ソロが美しい。
歪んだロング・トーンで奏でられるギター・ソロ。激しく、美しく、哀しい。

前から、みみずくずは哀歌を歌わせたら絶品のバンドだ。今作ではそれをさらに押し進めて、
凄みすら感じさせる仕上がりになった。新たな録音手法も手に入れたようだ。
完全にD.I.Y.で届けられたこのCD。みみずくずは、命を削って自らが進む道を切り拓いた。
素晴らしく、せつない。

おきたことはすべていいこと、これからおきることもすべていいこと。



デザイナー ハマナカサオリ


情の込められた目鼻立ちと魅力的なかたちの口唇。
なめらかな関西弁のトークとはうらはらな、
エモーショナルすぎる唱法。
歌う林レイナをはじめて観たのは4年程前のことだった。
それからも観に行ったライブの対バンがみみずくずだったりと、
幾度も機会があったけれど、その日から随分長いあいだ
彼女のスタイルを好きになれなかった。
過剰に煽情的に感じたし、どこか壊れた女に見えるほどで、
あたしにはそれが怖かった。
このひとの感情は普段から不安定なんだろうかと
想像しては落ち着かない気持ちになっていた。
彼女とは共通の知人がいるけれど、あたしたちが近くで会話する機会なんて
ないと思っていたから、随分と勝手なイメージをかためていたのだった。
同じテーブルに着いて同じ話の輪に加わる時間が
簡単なきっかけで訪れたのは2年前、とあるライブの打ち上げの場。
冬の夜、生成り色のニット帽を被った彼女はテーブルの端に座って、
少しねむたげにしていた。
時折、甘い小さな声(そう、その夜のレイナ・ボイスは小さかった!)で
駄々をこねる子供みたいに何かを言っては、隣にいた当時のマネージャー女史が
あれこれと彼女に世話をやく様子を、他愛のない話題の合間に
すこし離れた席からあたしは見ていた。
割合にむさ苦しい面子(失礼!)の中、
彼女の周りは華やかで自然にそちらが気になった。
結局、だれかの発言に一緒に相槌を打ったりするタイミングしかなく
お開きになったけれど、多分あたしのなかでそれまで抱いていた
彼女に対するイメージが弛んだ最初の機会だったと思う。
そこにいた林レイナは壊れて不安定なヤバい女なんかじゃ全然なかった。
甘え上手で人間味があって明るい、大阪仕立ての特別な女の子。
その後もあたしは少しづつではあったけれど普段の彼女を知ることになる。

彼女のくちぐせのひとつは「いいなー!羨ましい!」である。
口唇を尖らせながらよく通る腹式の甘い声で、
まるで街を歩く普通の女の子のように、林レイナは自分に足りないものを欲しがる。
深夜の手紙のように湿度のある詞は、おそらくそのまま彼女の欲望で
技巧で飾られたものではない。あたしがそれに気付いたのはごく最近のことだ。
外に向かって提示される林レイナの言葉は、それがマイクの前でも
ガード下の赤提灯で冷えたビールを前にしてでも同じように矛盾のない直球。
あたしから見ればむしろ、羨ましいのはそんな彼女ほうだ。
その正直さがみみずくずのフロントとしての一番の魅力なのだと今は思える。
はじめて観たライブでそれが作り込まれたスタイルに見えたのは
あたしが自分の目と耳を、同性に対する警戒心という
いやらしい猜疑で被っていたからなのだろう。
彼女を知ると苦手だったはずの語尾を跳ね上げる独特の歌い方はむしろ興味深く、
心地よいものに変わった。
わかっている人たちからは何を今さら、と言われそうだけれど。

このコメントを依頼されてからあたしは、みみずくずが苦手だったこと、
だから今は個人的に林レイナに対して書くことしか出来ない、と告白した。
彼女は、ほんの一瞬だけ驚いたような目をして
「それでもいい。だから書いて。」と滑舌よく、格好よく、そう言った。
そうことわっておきながらも、彼女たちの新しい挑戦の最初のラウンドになる
『入り江 e.p.』を何度も繰り返して聞き、
今からこのバンドを知ろうとするにはまだ遅くない、と思いはじめている。
収められている4曲だけでは、既にもの足りないくらいだから。



女優・作家 藤谷文子


不安にさせる彼の目も
心や、孤独や、現実も
痛いように嬉しい
喜びのように嫌
そしてそれは全部みみずくずに乗って ふわり
空の上の方  一緒に泳げる。
時には一緒にうずくまってくれる
そんな歌(音楽)。ありがとう

追伸、
私、藤谷文子は、ここで告白しなければいけないことがあります。
以前、トークライブをした時でした。
私は、みみずくずの曲を、勝手に使用、無断で得意な顔して
ライブのオープニングで意気揚々と歌いあげてしまいました。
その後ボーカルのレイナちゃんに会っても報告しませんでした。
私の歌唱力は別として、歌はかなり好評、
みんなに、アレいい曲だよねなんて言われて
つかの間良い気分でいさせていただきました。
今ここで、ごめんねレイナちゃん 
今回また素敵なアルバム出来て心底嬉しいです。
またやっちゃいそうです。



ライター 本間夕子


汗ばんで息が乱れるように。
愛している、それだけで生きたい日常。
愛している、そのために貪欲な感情。
ほとばしる潔さにハッとしてしまう。
“花でした”なんて。
綺麗事じゃないからそら恐ろしい。
“胸が吠えるの”なんて。
のっぴきならなくて抱きしめたい。
今、地上でいちばんの、そういう音楽。この音楽。みみずくず。